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大船長・臼井利夫は昭和45年頃まで、年間の半分はヒラメ漁をしていた。当時のヒラメ漁法をご紹介する。 ●「ヒラメてんてん」 草創期は、「ヒラメてんてん」と呼ばれていた漁法が主流だった。その仕掛け作りは、まず、竹筒に鉛を150〜300g流し込んで、そこに40cm程の真鍮製の針金を差し込み、針金がきちんと固定されたら、竹筒をはずして鉛を薄くのばす。これで、昔風の天秤の出来上がり。針金の先端には、ヨリモドシをつけて、そこからのハリスを2〜3m。1本針で、塩漬けされたイワシを針につきさし、木綿糸でくくりつけて使ってました。鉛をトントン、”てんてん”と底に常に叩きながら釣っていたことから、「ヒラメてんてん」と呼ばれるようになったとか。もちろん手釣りだ。 ● ![]() 「ヒラメのひっぱり」その後、「ヒラメてんてん」は効率がよくないというので登場したのが、「ヒラメひっぱり」。 7〜8m位の竹2本を、船の胴体から、羽を広げるように左右にのばして、そこに潜航板を仕掛けて、トローリングする方法だ。潜航板には、木製の五角形で、鉛を打ちつけてある。その潜航板から、ハリスを5〜6mつける。針は、牛の角や、アワビの貝殻を削ってルアーに仕上げていた(下図)。 <潜航板図(正面)> 牛の角は、鼈甲色のものが喰いが良かった。東京の屠殺場から一俵ほど仕入れていたが、鼈甲色した使える角は3本くらいしかなかった。ヒラメがかかると、潜航板の角度がかわって、ぽ〜ん勢いよく潜航板が水面に上がってくる仕組みだ。潮の澄んだ時は、ルアーに変えて、どじょうをエサにしてたとか。なるべく黄色みを帯びたドジョウを選んで、かぶらに差し込んでいた。毎日30キロ、40キロもの漁があったと、大船長は言う。 今も、大原港はヒラメ釣りが人気だ。ヒラメと人の戦いはまだまだ続く。 |